沖縄34歳から妊活を始めた人の日記

34歳から妊活を始めて現在37歳。初めての体外受精にチャレンジ。不妊治療の内容ではなくその時その時の気持ちの持ち方

流産という経験

私は、メンタル強い方だと自負していました。体外受精のこれまでの過程は身体はキツいけどメンタルは今のところ維持できていた。

だけども、それはただ大きな出来事に直面したことがなかっただけなのかな。

流産という経験は、結構堪えています。

 

そんな中でも、変えられないことは存在するけども私自身の思考は変えられる。

悲しいは悲しいので、悲しみはそのまま感じている日々を送りながらも、しっくりくる考え方は自分の中に取り入れていく作業をしています。

 

流産について:

①タイミング妊活の時は着床まで多分行っていなかった。着床は可能だと今回知れた。陽性反応、嬉しかった。

②たまちゃんと短くても一緒にいれた時間。仕事やお出かけも一緒にしている気分だった。夫も私もお話してワクワクしていた。本当に幸せを感じられる時間だった。

③流産後は妊娠しやすい子宮環境になる。たまちゃんが子宮内を綺麗にセッティングしてくれた。健気なたまごちゃんだったと愛おしい。

④子ども達の為にも私は辛いこともしなやかに生きる力に変えるたくましい母ちゃんになりたい。理想の自分。

そんな考え方を自分の中に入れていっている。心穏やかになる。

 

 

一方で:

前世で子どもに悪いことをしたから、とか子どもに選ばれなかったから、とかそんな言葉に傷つきそうになる自分もいる。

なんだよ、こんな根も歯もないこと言いふらして誰の得になるんだよ!と怒りが。

 

周りの励ましの言葉も悲しみ真っ最中の人達には傷つく言葉になりがちなんだよねと実感する。

 

「次があるよ」「また戻ってきてくれるよ」「妊活やめたら出来るかもよ」「〇〇(大体はすんごくよく分からないもの)したら授かれたよ」等々。

 

あーはいはい。と普段は流せるけど、今は多分引っかかる。

 

 

実際のところ、私の場合は妊娠のことを誰にも言っていなかった。流産のことも直接言うと泣きそうでメール連絡しか今の所していないので、まだあるあるな励ましの言葉に直面していない。これからかな…「分かってちゃん」になりすぎず、流せる自分でいれますように。

 

嬉しかった言葉はすでにもらった。

夫「僕は君がいつも一番大事」と一緒に泣いてくれた。気持ちを一番共有できる相手がいるのが大きな救い。

尊敬する先輩「(涙が止まらないくらい)それくらいあなたにとって大事なことだったんだよね」「動揺するそんな自分の一面を知ってきっとびっくりしたんじゃない?」「(仕事お休みしたいと言ったら)長い人生でたったこれだけの時間大したことないよ。ゆっくり休んでいいと思うよ。」と全ての言葉で気持ちをわかってもらえたと感じ、背中を押してもらえました。

 

私が、流産を経験した方に声をかけるとしたら…

「大変だったでしょう。悲しいね。」「自分の身体と心を一番に考えて、思うだけゆっくり過ごしてほしいな」「泣きたくない場面もあると思うけど、泣ける時に思いっきり泣いてね。」と伝えたい。

 

 

分かってくれる人、になりたい。

変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ。と祈っている。

悲しみの真っ只中。